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2024年10月28日~2024年11月1日 諏訪大社下社~諏訪湖~蓼科
諏訪大社下社 諏訪湖 蓼科高原
列車・電車 バス.タクシー 自転車 徒歩 ホテル.宿
3月"大動脈解離"手術をして長いリハビリを続け、なんとか旅行できるまで回復
2024年10月28日
新宿駅
上諏訪
下諏訪
諏訪大社下社
秋宮/春宮
下諏訪
上諏訪
ぬの半旅館

新宿駅9番線/あずさ13号
空気のきれいな長野へ、病後八か月ぶり体調に細心の注意をはらいながら出発
10月28日 新宿発 午前10:00特急あずさに乗車、12:12分上諏訪着。
ここで普通電車に乗換次の下諏訪駅へ。

下馬橋(げばばし)
駅の観光案内所に寄って”諏訪大社・春宮~秋宮”の徒歩ルートを教えてもらう。
駅を背に進み、中山道の信号を左折、春宮大門大鳥居をくぐって大門通りを進む。
突当りに諏訪神社下社最古の建造物”下馬橋”という屋根付き太鼓橋。
下馬橋の脇を進むと正面に、”諏訪大社下社・春宮”である。
諏訪大社・下社春宮 神楽殿 からお参りする。
諏訪大社・下社春宮
”御柱” 下社春宮/本殿脇には”御柱祭”で切り出された”もみの大木”が立つ ”御柱”
御柱祭(おんばしらまつり)....By Wikipedia
長野県諏訪地方で行われる祭である。諏訪大社における最大の行事で正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に行われる式年祭である。
山中から御柱として樅(もみ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭である。この御柱祭りは7年目ごとに行われ、柱を更新する。氏子は、木遣りや喇叭に合わせて曳行する。正確には満6年間隔で行われ「6年に一度」だが、慣例として数え年の7年目ごとという意味で「7年に一度」と表記される。大きくは「山出し」と「里曳き」にわかれそれぞれ4月と5月に、そして下社は上社の1週間後に行われる。諏訪地方あげての一大行事である。

春宮から"浮島"を通って万治の石仏に向かう。
川がどんなに氾濫しても流されない、と言い伝えられている不思議なお社。
小川を越え数分で"万治の石仏"が見えてくる。

岡本太郎が「見たことない」と絶賛した『万治の石仏』
諏訪大社/春宮に遺石の大鳥居を奉納するよう命を受けた石工が石材にノミを打ち入れた際、その石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立したのがこの石仏とされています。この石仏を建立した願主が万治3年(西暦1660年)と刻まれていることから、万治の石仏と称され、1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学に来られこの石仏と対面された現代美術家の岡本太郎氏が「見たことない」と絶賛し、作家の新田次郎氏が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び雑誌等で全国に紹介され広く知られるようになりました。   "おいでなして、しもすわ"..から転載
諏訪大社・春宮に戻り旧中山道に出て1.5㌔先の諏訪大社・秋宮へ向かう。

旧中山道は、古くは「中仙道」と称されたが、享保元年(1716)「中山道」と書くように改められた。 江戸日本橋、信濃、木曽、美濃、近江を経て京三条大橋まで約534km69宿あり東海道とともに当時の幹線道路だった。
先日「NHKブラタモリ・京都・三条大橋~伏見へ」登場 懐かしく観た。

下諏訪の旧中山道は昔の幹線道路とは思えない のどかな風景が続く道。

"龍の口"

諏訪神社・春宮から中山道を進むと途中に、いかめしい石造の"龍の口"
「石造の龍と石段」看板によると、もともとはこの上にある慈雲寺を参詣する人々の喉を潤すために設けられたもので、石造の龍は水神として文政8年(1825年)に、岡谷市横川の石工の手により奉納されたものである。

伏見屋邸

1864年(元治元年)建築”伏見屋邸” 中山道の街道沿いにあった商家の特徴を良好に残すものとして、平成25年に主屋と土蔵2棟が登録有形文化財に登録された。

今井邦子文学館島
島木赤彦の弟子で、女性だけの短歌社「明日香社」を主宰したアララギ派の歌人。建物は中山道一の宿場として賑わいを見せていた江戸時代、茶屋を営んでいた邦子の実家を復元したもの。


本陣岩波家
中山道、諏訪大社の門前町としてにぎわいを見せた下諏訪宿に本陣が置かれ、多くの諸大名が立ち寄っている。この格式高い本陣岩波家へ1861年(文久元年)皇女和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁する際、宿泊している。

本陣前から間もなく、諏訪大社下社・秋宮の山門前に到着

諏訪大社下社・秋宮

諏訪大社下社・秋宮 青銅製”狛犬”
この狛犬は、諏訪出身の彫刻家清水多嘉示氏の作で、昭和35年に間組社長.神部満之助氏の寄進により奉納された。青銅製では日本一と言われ、高さが1m70cm。

昨年、諏訪大社/本宮.前宮の二社を参拝していたので、今年、下社/春宮.秋宮をお参りして、諏訪大社.四社お参りを済ませた
2023年の諏訪大社・本宮参拝
諏訪大社・春宮から秋宮をお参りし散策を終え、下諏訪駅に戻る。2時間ほどで、退院いらい最高の12000歩余り歩いたが、特に心臓に異常もなく歩けて嬉しかった。
下諏訪駅の改札口に”万治の石仏”像が鎮座している。

下諏訪駅構内の小林一茶の歌碑
「甲斐信濃 乙鳥のしらぬ 里もなし」
一茶が中仙道下諏訪宿を訪れた際に御射山祭(諏訪大社/秋宮の祭)を詠んだもの。
下諏訪駅から14:50分の普通電車に乗車、次の上諏訪駅に14:55分到着。
上諏訪駅から今日の宿 諏訪湖畔 ”ぬの半”へ歩く
2024年10月28日
新宿駅
上諏訪
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諏訪大社下社
秋宮/春宮
下諏訪
上諏訪
ぬの半旅館
上諏訪駅
上諏訪駅から徒歩10分程で今日の宿”ぬの半”に到着.チェックイン。
205号室。諏訪湖の見える部屋
早速お風呂へ。温泉は2月登別温泉にいって以来、八ヶ月ぶり。
『ぬのはん』の歴史......宿のHPより転載
諏訪の呉服商「布屋半助」
創業者の初代・藤原半助が諏訪中町で呉服屋「布半」をスタートしたのは1848年(嘉永元年)のこと。信州は江戸期から日本一の生糸生産量を誇り、生糸を加工して作る絹(シルク)の生産が盛んでした。中山道と甲州街道が交わる諏訪は絹交易の拠点・宿場町としても栄えました。通り名「布屋の半助」を略して「布半」と呼ばれるようになり、その事業は形を変えて近現代へと引き継がれてゆきます。 
大正期の歌人・島木赤彦は諏訪市の出身で、当旅館に特にゆかりの深い人物です。
その赤彦と同時代の有名歌人で「アララギ派」を共に構成した斎藤茂吉が赤彦の招きで当旅館を最初に訪れたのは1913年(大正2年)のこと。以降、茂吉は布半を諏訪滞在の定宿としました。茂吉の筆になる『赤彦君追憶集』の中でも、当旅館での2人の生活が紹介されています。このほか、太宰治、島崎藤村、松本清張、新田次郎、宮尾登美子ら、時代を代表する幾多の作家たちが宿泊しました。
朝食は二階食事処で。
血圧対策に塩分計、減塩醤油、お酢を持参する。悔しいが塩分多めの食材は残す。
”ぬのはん”10時チェックアウト。
雲が多いすっきりしない天気だが、諏訪湖畔を歩いて高島城に向かう。

諏訪湖上に浮かぶ”八重垣姫像”
”八重垣姫”とは
浄瑠璃及び歌舞伎の演目である『本朝廿四孝』(1766年初演)に登場する架空人物。長尾謙信(上杉謙信)の娘、武田勝頼の許婚として登場する。歌舞伎では、雪姫『祇園祭礼信仰記』・時姫『鎌倉三代記』とともに「三姫」と呼ばれており、この「三姫」は赤い衣装を身につけた典型的な姫君役「赤姫」の中でも、特に難役とされている。『本朝廿四孝』に多くの影響を与えた、近松門左衛門の『信州川中島合戦』に登場する勝頼と恋仲になる謙信の娘・衛門姫と重なる設定をもつ。武田信玄の六女で上杉謙信の養子・景勝の正室である菊姫がモデルとされている。 
 諏訪明神から武田家に賜った法性の兜が原因で、長尾謙信が返却しないために両家は不和になっていたが、その和睦のために武田勝頼と八重垣姫の縁組が成立する。しかし将軍足利義晴が何者かに暗殺されたために、武田家・長尾家は将軍暗殺の疑いを晴らすためにそれぞれの息子の首を室町幕府に差し出した。八重垣姫は許婚になった勝頼が死んだと思って悲しむが、実は勝頼は生きており、兜を盗み出すため花作りに変装して長尾家に潜入して八重垣姫と対面する。兜を盗み出そうとし討手を差し向けられた勝頼の命を救うため、姫は兜に祈願する。すると諏訪明神の使いの白狐は姫に乗り移り、姫は氷の張る諏訪湖を渡って勝頼のもとへ行く。武田・長尾両家の不和を利用しようと謀っていた悪人たちが滅んだ後、勝頼と八重垣姫は結ばれた。
ArtWiki - 立命館大学....参照

高島城内 諏訪護国神社・両脇に立派な御柱
高島城は約420年前に豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉に築城された。
築城当時、諏訪湖の水が城際まで迫り壕の役割を果たし難攻不落を誇り、別名「諏訪の浮城」と呼ばれた。
”ぬのはん”~諏訪湖畔~高島城~上諏訪駅と歩き、12:27分発の普通電車で一駅、茅野駅で下車。テラス蓼科リゾートの迎えのバスが来るまで茅野駅周辺をぶらぶら。
茅野駅前に立つ”プンゲンストウヒ.ホプシー” 見事な大木、青白色の葉が美しい常緑針葉樹で葉の色は銀青色(silvery blue)と表現され幻想的。
茅野駅~宿の送迎バスは13:25分、時間まで茅野駅から直結しているベルビアという複合施設に寄り、小津監督の展示や、”まちライブラリーMy Book Station”で蔵書を見ながら休憩

小津安二郎、野田高梧の展示コーナー
茅野駅前に戻り13:25分”テラス蓼科リゾート”の迎えのバスに乗車。25分かかって宿に到着チェックイン。
2024年10月29日
諏訪湖・ぬの半
高島城
上諏訪駅
茅野駅
テラス蓼科リゾート

蓼科湖の紅葉
10月29日午後2時 ”テラス蓼科リゾート” チェックイン。
部屋は昨年泊まった時と同じウィングフラットタイプの2102号室
ホテルでは終日お風呂に何度か入って休憩
医師からの指示もあり、血圧計で時々チェック。

”テラス蓼科リゾート”ウィングフラット外側
部屋のお風呂は一度だけ利用

お風呂写真は宿のHPより転載

ジャグジー風呂
15時になりすぐにお風呂へ、Mが心配して注意をして(滑って転ばないように、水圧がかからないよう浅く浸かるように)よく守りながら、注意に注意しながらゆっくり入る。
大浴場は、ジャグジー風呂とサウナ、八ヶ岳を望む露天風呂がある。
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17:30~一階のレストラン”GRANDISH”で夕食、減塩しょう油とお酢を用意して
2024年10月30日
テラス蓼科リゾート
聖光寺
蓼科湖
芸術の森・彫刻公園
テラス蓼科リゾート

”テラス蓼科リゾート”から、県道192号線(ビーナスライン)に出てすぐ左にあるお寺
”聖光寺”お参りする
1970年、トヨタ自動車/トヨタグループが施主として建立したお寺なので、「交通安全の祈願」「交通事故遭難者の慰霊」「負傷者の早期快復」を三大寺命としていて、毎年7月の夏季大祭にトヨタグループの首脳陣が集まり交通安全を祈願する。
聖光寺をお参りして、すぐ近くの蓼科湖へ。
ビーナスラインを右に折れて蓼科湖への道すがらにある道祖神様
蓼科は今度で4回目になる。最初は1970年結婚前に来たのが最初で、その頃と風景はほとんど変わらない。静かで空気が綺麗で希少な観光地。
蓼科湖岸に”蓼科・芸術の森彫刻公園”
蓼科・芸術の森彫刻公園
この彫刻公園は「長崎平和祈念像」を製作した”北村西望”氏作品を中心に展示されていて、ゆっくり見て回る
芸術の森彫刻公園から湖を一周する
紅葉は今が見ごろ
蓼科湖は20分ほどで遊歩道を一周できる、とても手頃な散歩コース
蓼科湖はこの時期ライトアップしている。
蓼科観光協会HPより...画像転載
2024年10月31日
テラス蓼科リゾート
白樺林遊歩道
テラス蓼科リゾート
茅野駅
新宿駅

7:30から朝食は一階のレストラン”GRANDISH”
食事には減塩醤油とお酢は必須
朝食後部屋に戻り、もう一回最後のお風呂へ。
二日間の滞在を終えて10:00時チェックアウトする
帰りの茅野駅行バスの時間(10:45分)まで間があるので周辺散策にでかける。

コテージメゾネット⇒
蓼科テラス/コテージメゾネット
コテージの建つ敷地の端側にある遊歩道へ
綺麗なタケノコ、おそらく毒キノコ 
蓼科テラスの裏側のテラスの森遊歩道、白樺の小路を歩く
この森は、現在トヨタ自動車の所有地になっているが、昔は放牧場だったようで、牛の水飲み場などが残っていた。
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ゆっくり一周歩いてホテルに戻る
ホテルの玄関からバスに乗り茅野駅へ。
茅野駅から11:39発~新宿駅13:45分着予定の 特急あずさに乗って帰る。
あずさで甲府辺りを通過中に車窓から綺麗に富士山が眺められた。





 
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体調を心配しながらの三泊四日の旅だったが、無事何事もなく終えよかった。
今月末は定期検査があり、懸念しているB型動脈解離がどうなってるか、結果を見て出来れば又温泉旅に行きたい。
終




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